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春木 豊先生

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春木 豊先生の略歴

・早稲田大学、異常行動研究会、行動療法、バンデューラ、マインドフルネス、身体心理学
・1956年早稲田大学文学部哲学科心理学専修卒業、同大学院進学。早稲田大学助手、講師、助教授を経て、早稲田大学文学部教授、同人間科学部教授。1970年代にスタンフォード大学に留学、バンデューラに師事。博士論文「観察学習の研究」
・早稲田大学では戸川行男や本明寛からテストを教わりました。大学を越えて院生で組織した「異常行動研究会」では、行動療法を日本に導入する役割を果たしました。学生時代に悩んだ個人的な経験から、禅に関心を持ち続けて、マインドフルネス、身体心理学の研究を行いました。

日時:2016年2月22日(月)
場所:春木豊先生ご自宅にて
インタビュアー(以下、「イン」と略)A  先生は1933年、昭和8年に東京で生まれたというように伺っております。東京のどちらだったのでしょうか。

春木 今でいう板橋。(そして)赤ん坊のときに、すぐに小田原に移ったのです。ほとんど育ったのが小田原です。

インA それで、高校から東京にいらっしゃったのですね。昭和24年に新宿高等学校へ転校しました。

春木 転校したのです。私の世代はちょうど旧制中学に入って、それで、3年生のときに新制度に変わったわけ、システムが。中学といっていたものが高校になったわけ、高等学校に。だから、われわれの、私の世代のものは、例えば私は新宿高校へ編入したのですが、みんな中学時代から一緒で、私はここへ途中から入ったわけ。ここで旧制の中学をやって、それで、新宿高校の新制の高校1年に編入したわけ。

インA 昭和27年に早稲田大学に進学されて、文学部に入られた。文学部に入られる前から心理学を学ぼうとされていたのでしょうか。

春木 浪人しているときです。大学を受けて落ちてしまって、それで、1年浪人しましたから、その間に。うちはおやじが理系だし、兄貴も理系に行ったし、私も、だから、私も理系かなと思っていたのです。けれども、数学や物理の出来が悪くて、最初の受験はだめだったのですね。とりあえず最初の受験のときは医学部を受けたのですが、落ちてしまって、それで、1年浪人していたのです。
 その間にあることがありまして。

インA はい。

春木 私には姉がいるのですが、姉が津田塾大学へ行っていました。そこでの、多分夏休みの宿題だろうと思いますが、夏休みに、今でいうところの同心円錯視の被験者をさせられたのですね。へえ、このように面白い現象があるのかと興味をそそられました。これは物理学では解けないらしいと思って、それであれば、それを知りたいと思ったわけです。物理学だけが世界ではないということを、そこで、物理学が嫌だったから、よし、それなら物理学が分からない学問をやってみようと。物理学で解けない問題をしてみようと。
 へえ、これほど面白いことがあるのだと思って、それが心理学を学ぼうと思われたきっかけ。

インA 被験者の体験から心理学に入られたのですね。

春木 そう。その頃、心理学は全く知られていませんでしたから。早稲田も哲学科になっているのですね。哲学科心理学専修といっていたのです。心理学をやることにしたといったら、みんな「それは何だ」と言われて、聞かれて、全く知られていない。今でこそ、まあまあ心理学と言えば理解してもらえるけれども。
 高校の担任の先生に、早稲田の心理学に行くことにしましたと報告に行ったのです。そうしたら、よく覚えていますが、何と言われたかというと、「おめえは将来、神田の古本屋で店主になるしかねえな」などと言われたことを覚えています。
けれども、逆にそれが。頑張りましたがね。

インA 早稲田は、当時は1年生からもう専修が分かれていた。

春木 そうです。分かれていた。

インA どのような先生がいらっしゃいましたか。

春木 今は聞こえなくなってしまったけれども、戸川行男先生という方。今は使われなくなってしまったけれど、TATといって、絵画統覚検査というもの(を研究していた)。
 それと、本明寛先生という方。この方にはいろいろお世話になった先生なのですが、ロールシャッハテストをやった人。生理心理学でGSRの研究をされていた新美良純先生、近くの三島二郎先生、クレペリン検査を作成していた清原先生、浅井邦二先生は一番若く助手をされていました。

インA お二人の先生とも、では、どちらかというと、心理テスト、臨床心理学に近いことをされていましたね。

春木 そう。テストなのです。そのため、早大の心理は臨床と一般的に言われていました。東大は基礎と。その辺が、私は感謝しているのですが、当時、行動心理学が盛んなときですね、アメリカからとうとうと入ってきたのです。戸川先生も本明先生も戦前の心理学ですから、ドイツの。戸川先生などは哲学の先生だったのですが、(学生が新しいことに取り組むのを見守ってくれました)。

インA 当時の早稲田は、では、臨床心理学に近い分野の先生方で。

春木 そうなのです。ええ。臨床といっても、テストです。セラピーではない。

インA 春木先生の同期や先輩などで、心理学者はいらっしゃいましたか。

春木 大変お世話になったのは、すでに亡くなられていますが、平井久氏です。同期で知られているのは、岸田秀君です。『ものぐさ精神分析』という著書で有名になりました。

インB 岸田秀先生。

春木 彼は同期です。
学生時分から、授業などは全く出てこないで。何といいますか、語学の天才でしたね。
 ドイツ語、フランス語、英語、もちろん。「字引が目の前に浮かぶんだ」などと言って。とてもかなわなかったですよ、語学では。
 和光大学へ就職しましたが。

インA 早稲田の心理学の専修では、どのような授業がありましたか。

春木 そうですね。戸川先生や本明先生から教わったことは、もちろんテストの話ですが、でも、時代ががらりと変わったときですから、先生方も大変だったと思います。それで、私は、1年に入ったとき、たまたま4年生だった平井久という先輩に出会って、彼の卒論の実験を手伝ったのですね。
 何の実験かというと、平井先輩がしていたのはネズミの実験だったのです。それで、心理学は行動の科学だと。心理学の基礎研究はネズミだと。医学でもそうだろうと言われて、えらく納得してしまって、そのあとずっと私もネズミの実験をしました。卒論も修士論文もネズミ。
 それで、言いたいことは、それを理解してくれたのです、戸川先生や本明先生が。そういうことを勝手にわれわれ学生がしていることを理解してくださったのです。これが大変ありがたかった。

インA 戸川先生、本明先生は、ネズミは使ってらっしゃらないですね、テストでは。

春木 そういう経験はないから。だから、アメリカの事情を理解されて、あ、これからはそういう方向なのかなというように思われたのだろうと思う。

インB 先生がシロネズミの研究を若い頃にされていたと思うのですが、それのきっかけというのはやはり平井久先生が。

春木 平井久先輩なのです。本当に彼には感謝しています。
彼がリーダーで、学部1年のときから原書を読んでいました。

インA どのような本を読んでいらっしゃったんでしょうか。

春木 ネズミの実験の、必携の本なのですが、『Conditioning and Learning』という。(Ernest R. Hilgard、 Donald George Marquis著)。

インB 卒業論文も、先生は、では、そのシロネズミ関係で書かれて。

春木 そうなのです。

インA 卒論は、どのようなご研究だったのでしょうか。

春木 回避条件付けといって、電気ショックを使った条件づけの研究なのです。これはその後、行動療法と結びついて。ちょうどその頃、アイゼンクが『行動療法と神経症』というので本を出したのです。
それで、翻訳をわれわれがやったのです。(翻訳者の)異常行動研究会というものは、これはほとんど院生の集まりなのです。

インA 早稲田の院生ですか。

春木 早稲田だけではなく、インターカレッジの。関学と同志社と早稲田と、それと慶應かな。本当に院生の集まりで、楽しかったです。その集まりで、こういうものが出たといって、われわれはみんな、ネズミをやっていた連中の集まりなのです。特に、平井先輩も私も早稲田の臨床だから、ネズミの電気ショックを使った回避条件付けというのですが、これを臨床と結びつけたいと思っていたのです。そこにこれが出たので、「これだ」と言って。

インB 当時、行動療法というものは、日本ではまだ。

春木 まだまだ。

インB では、春木先生が行動療法の先駆けだったわけですね。

春木 翻訳は『ビヘービア・セラピー』、これが最初だと思う。リーダーは同志社大学の松山先生という方で。やはりこの方も、われわれと同じような研究をされていた方で。松山義則という先生なのですが、最後に、同志社の学長をした方なのです。

インB 出版されたのが1965年なのですね
今から、だから、50年くらい前ですね。その頃に行動療法がこのようにして日本で普及されていくと。

春木 ええ。始まったのですよ。

春木 だいぶあとに、会長は関学の今田寛さんだったので。彼は面白い人でね。それで、冬に集まる会、スキー・アンド・ウイスキーという会をやって、昼間はスキーをして、夜は酒を飲んでディスカッションするという楽しい会でした。

インA 名前もいいですね、スキー・アンド・ウイスキーは。この会はいつ頃にできた会なのでしょうか。

春木 いい質問だな。忘れてしまった。 
われわれが作ったのですよ。われわれといいますか、私も最初から加わって。早稲田から、やはり平井久先輩が参画して。(私が)院生になった頃です。そうです。

インA 昭和30年代前半ぐらいにできたのでしょうかね、きっと。

春木 そうだろうね。これが出版されたのはいつですかね。

インA すみません、春木先生、話を戻しますが、この異常行動研究会はいつ頃まで続いていた会なのですか。今はもうないですよね。

春木 割合、最近まで続いていた。
合宿をすると看板を立てるでしょう、異常行動研究会という。

インA はい。

春木 それで、みんなから変な目で見られましてね。

インB ああ、名前が。

インA 先生は修士もそのままネズミの研究をされていたのでしょうか。

春木 修士までネズミでやりました。回避条件づけの実験をやりました。

インA 先生の卒業の指導の先生はどちらだったのでしょうか。

春木 戸川先生だったかな。

インA 本明先生と戸川先生と、両方から等しく教わるような感じだったのですか。

春木 ええ、いろいろね。お世話してもらいました。
 研究指導といっても、直接は。ネズミですから、先生方もあまり知らないわけですよね。だから、勝手にやって、勝手に出して、一応OKをいただいて。いや、感謝しています。ありがたい話で。

インB 先生の動物実験も、行動療法的なスタンスから始めた感じですか。

春木 いや、逆ね。

インB 逆ですか。

春木 先ほど言ったように、回避条件づけの実験をしている間に行動療法が出てきたものだから、それは結びつくぞと何か思って、元気が出ました。
 『行動療法入門』という本も出したりしていますが。

インB あと、観察学習やモデリングなども、本を書いたり研究されていますね。

春木 そうです。よく知っていますね、モデリング。
バンデューラという人のね。

インA 動物心理学会で、先生がなぜ動物の方から社会的学習理論にいったかというようなことを、少しまとめられているものを拝見しましたが。

春木 ああ、そう。

インA 当時、1950年代前半は、脳の研究のほうに動物の研究がシフトしていたから、そうではなくて、社会的学習のほうに行ったとありましたが、そこをもう少し詳しく伺えたらと思います。

春木 いや、そうなのです。私は一つ、おやじから言われて、良い言葉があって、それを守ってきたのです。テーマ選びに関して。それは何かというと、「みんながよってたかってやってるような中で頭角を現すのは、おまえは頭がよくないから難しいだろう。だから、人がやってないことをやったほうがいいよ」と言われて、人がしていないことを探したのです。
 今おっしゃった、回避条件付けをずっとやってきて。どんどん脳の中へ電極を入れて調べるようなことが、一つの方向だったのです。多分、それは自然の成り行きだと思うのです。要するに、生理学的に説明しようと。もう、行動だけではだめだといって、脳の生理で説明しようと。もうアメリカがどんどんそういう方向に進んでいたから、日本でもそれをしようという動きがありまして。私はこれから脳の生理学をやらなければいけないのかと思って、とてもやる気がでなくて。
 そうしたら、そこでおやじの言葉を思い出して、人がしていないことをやろうと。つまり、学習の研究をしてきて、ひょっと思ったのです。ネズミですから、学習といえば試行錯誤。けれども、人間の学習とはそうではないと思ったのです。観察学習も模倣。そちらのほうが多いのではないかと思ったわけです。そうしたら、バンデューラという人がソーシャル・ラーニングという言葉で表した。
これが出る前に、私は彼のところへ1年間滞在させてもらったのです。

インA バンデューラのところにですか。

春木 ええ。スタンフォード大学に1年間、70年代だと思いますが。

インA 70年代。

インB はい。結構面倒見が良い先生だったのでしょうか、バンデューラという人は。

春木 そうね。私も何人か紹介しましたが、みんなOKしてくれました。アメリカ人にしては親切な人です。ユダヤ人なのですよね。

インA・B ああ、そうなのですか。

インA バンデューラの下では、どのような勉強というか、ご研究をされて。

春木 これをやりたいと思ってとりあえず行ったのですが、こちらでもしていたから、観察学習。けれども、私が行ったときには彼はもうテーマが変わってしまっていて、セルフ・エフィカシーということをそのあとに言い出して、それを一生懸命に言っているときだったものだから、私もそれをやるしかなくて。

インA 確かにそうですが、モデリングを目指して留学をされたのに、変わっていたらショックですね。

春木 もう、彼の演習は全部セルフ・エフィカシーと盛んに言って、それをテーマに選べば、私もその後の研究は変わったのですが。1970年代だったと思います。
 それで、70年代に行って、私が帰ってきてから。何かお礼をしたいと思って招待をしたのです。

インA それがこの東京セミナーですか?

春木 そうです。

インA 1982年ですね。京都、岐阜、京都、広島。

春木 京都大学で日本心理学会があったときに特別講演をやってもらったのです。

春木 私の研究。これが学習の研究です。

インB 先生の研究は、行動療法からだんだん身体のほうに、気功のようなもの、東洋医学などにも拡がってらっしゃいますが。

春木 そうだ。私の研究は、だから、学習なのだね。それとの関連で行動療法は。臨床は知りませんが、理屈だけ。それとの関係で、社会的学習、要するに学習の研究。条件付けと学習の研究。それと、行動療法。これが私の30代、40代の研究ですね。

インB はい。

春木 ただ、私は若い頃から禅に興味を持っていたのです。私が若い頃というものはまだ心理療法などというものはないから、多分うつ病になっていたと思うのですが。その頃、みんな、何をしたかというと、禅寺へ行ったのです。私も円覚寺へ行きまして。要するに、鍛えなくてはということです。昔ですから、セラピーなどということではなくて。そのとき、出てきた坊さんに「つべこべ言うな。座れ」と言われて。それは非常に印象的だったですね。心の問題で来たのですが、何で座るのかと。それが実はここへつながっていくのです。

インB ああ。

春木 ずっと片方でネズミをやりながら、一方で、禅の本などを読んでいたのです。それで、私はその当時、本があると思うのですが、京都大学の教授の佐藤幸治先生という方が『心理禅』という本を書かれて。
それで、心理学と禅は結びつくのだと思って。それで、この先生が、万福寺で座禅会をされたのです。私はそれに出かけていって、佐藤先生にお会いしたのですが。それで、帰ってきて、戸川先生にこういうテーマをしたいのだと言ったら、怒られてしまって。だめだと言って。まず心理学の研究をしてからにしろと。正解だったです。私は、だから、禅のほうはしばらくおいておいたのです。ずっと。

インB 若い頃からずっと興味は持たれていて。

春木 そうですね。

インB 50代ぐらいになってから、では、その、始められて。

春木 そうですね。ずっとうつ病をやっていたと思う、今で思うと。何とかしたいというのは。座禅で鍛えろというのが当時のやり方だったから、それで、座禅というものに興味を持っていたのです。
それほど必死にやったわけではないけれども。

インA そう考えると、学生の頃、先生が悩まなかったら、東洋心理学は発展しなかったわけですね。今のように、すぐにカウンセリングへ行ってはいけませんね。

春木 それはそれだろうけれども。この流れがマインドフルネスなのですよ。カバット・ジンのね。

インA 実際に研究としてマインドフルネスを始められたのは。

春木 ずっとあとになって。

インA 50代ぐらいですか。

春木 そうそう。(若い頃は)戸川先生にだめだということを言われて、それは守りました。

インB それはやはり、心理学の基礎をきちんとつけろということですか。

春木 うん。心理学できちんと業績を挙げてからにしろと言われて。それは正しかったと思いますね。

インA うん。やめなさい、捨てなさいというのではなくて、まずはこちらをきちんとしなさいというご指導なのですね。

春木 けれども、学会報告では、禅などということは最初に出さなかったけれども、東洋的行法の心理学的研究などといって、シンポをしていたのです。人は集まらなかったけれども、我慢して続けていました。異常行動研究、慶應から梅津耕作さん。

インB 今は結構、マインドフルネスなど、学会でも多いですが、ワークショップなどもあちらこちらでされているようですが、何となく時代が先生に追いついてきたような感じですか。

春木 追いついてきたといいますか、どのように表現するのかは知らないけれども、私が今お話ししたようなことから、まず個人的な問題から禅に興味を持っていたので。それで、カバット・ジンの本を読んで、「あれ、やられちゃったよ」と。日本の心理学でもこれは、『心理禅』というものを佐藤幸治先生が書かれていますが、「私は前から気がついていたのだけれど」と思って。それで、翻訳したのです。

インA うん。それがマインドフルネスの本。

春木 そう。カバット・ジンもヒッピーをしていたのです。それで、座禅に出会ったのです。どこかに書いているけれども、自分の指導教授やお父さんもノーベル賞級の人だったらしいのです。「俺はこんな世界ではできねえよ」と言って、それでぐれてしまったのです、いってみれば。それで禅に出会って……座禅をしていたのだ。それで、これは何か使えるというので、「マインドフルネス」という言葉を思いついて。『マインドフルネス・ストレス低減法』といったかな、本は。

春木 瞑想などというものは、それまでは日本の心理学会では全然、何か変なものという。私はもう一つ『瞑想の心理学』というものを翻訳しているのです。


インB まだ瞑想が、日本でも際物的な感じですね。

春木 際物だ。そういうことを私は喜んでやる方なのです、際物的なものを。

インB カバット・ジンというのは、名前はかわっていますが、元々何系の。

春木 顔つきは、ああ、見せましょう。いいですか。写真があります。中近東ではないかな、この人は。

インB 中近東系ですか。真ん中の方ですか。

春木 そうです。元々カバットだったのです、その人は。ジンというのは奥さんの名字。結婚して新しい名前を付けた。カバット・ジン。これはテキサスでワークショップがあったときに行ったのです。

インB カバット・ジンのワークショップですか。

春木 そうです。ええ。

春木 いえ、これは精神医学の集まりがあって、ネパールの。それで招待されて行ったのです。

春木 これは貴重な写真なのだ。なぜかというと、真ん中の、これが王女様だったのです。
当時の王室の。ただ、日本に帰ってきた、新聞報道で殺されてしまったといって。何か跡目争いなどで、王室の。
春木 あとにしましょう。

インA はい。

春木 まとめていうと、私の研究テーマは、動機は同心円錯視だったのですが、全く近くではなくて。行動主義心理学の影響をまともに受けたときですね。われわれが大学に入ったとき、アメリカからどっと心理学が入ってきて。もう、アメリカ心理学一辺倒で。だから、それの基礎研究ということで、学習心理学。僕は行動療法というものに関心がありましたが。
 あと、私は禅に興味があったのだ。それと心理学との関係。それが一つです、私の研究テーマの。

インA 感情心理学会でも理事をされていましたね。

春木 ずっと昔だ。感情心理学。回避条件付けをしています。不安のような概念が出てくるから。それと、先ほどから言っている、異常行動研究会。

インA はい。他に学生の太極拳連盟の会長などもされて。太極拳。

春木 うん。日本太極拳連盟というものがあるのです。それの理事をしていたのです。それだけではなく、学生の会をやりたいと思い、日本学生武術太極拳連盟というものを作ったのです。太極拳をしていたのです。

インA 先生自身がされて。

春木 それも身体心理学につながるのです。
 私の研究を、だから、整理すると、先ほどから繰り返しになるけれども、学習行動療法。学習研究の流れの中で、一つ社会的学習というものがあるわけです。禅の心理学はマインドフルネスですね。
 あれこれかじっているだけなのですが。私は一つのことをしているとあきてしまうのです。だから、違うことに手が伸びてしまう。だから、今これも騒いでいるけれども、もうあきてしまった、私は。学会を作って、あと、文学部の越川房子さん、あの人が理事長をあれしたから、「お願い」と言って渡した。彼女は大変ですが、優秀な人だからやってくれると思う。

春木 あとは最後に身体心理学。
 身体心理学というものは、なぜ思いついたかというと、古くは、先ほど申し上げたような、禅寺へ、心の問題の相談をしたいと思って行ったら、「つべこべ考えるな。座れ」と言われて、なぜ座るのかという疑問がずっとあって。調身、調息、調心というのです、禅では。調身というものは、体を調えて、息を調えて、アンド、そして最後に調心、心を調えるということだ。だから、心の問題は一番最後で、その前に体と呼吸と、それをコントロールしなさいという考えで、非常にユニークだったものです。身体心理学はそれを心理学的にやってみようということなのです。

インA 日本発の、先生発の心理学ということになるのでしょうか。

春木 私発かどうかは知らないけれども、ただ、そういうことを言ってみたい。

インA あまり、それこそ欧米で、そういう体のほうを中心にした心理学は……。

春木 されてはいるのです。ここにあるのですが、ソマティック心理学。

インA ソマティック心理学。

春木 ソマティック心理学といって。クボタという人が脱サラの人なのです。それで、心理学を勉強しようとアメリカへ行ったらしい。
 それで、やはり身体の問題を勉強してきたらしい。それで、日本へ帰ってきて、私の『身体心理学』という本があります。「何だ、日本でもやってたんだ」などと言っています。言っていましたが。
 私はこういうアメリカの動向を知りませんでしたが、これは細かく書いています。

インA どちらが先かという感じですね。

インB 気なども関係してくるのですよね。

春木 アメリカでは、そういう言葉は使わないけれども、

インA 日本発の心理学を探すと本当に少ししかなくて、むしろ春木先生の身体心理学は、東洋心理の心理学はそうかと思うのですが。

春木 いえ、そんな……浅いです。もう少し深くしなければいけないのですが。それは、なぜそんな発想を持ったかといいますと、根っこがありまして、特に心理療法は文化に根づいてやらなければだめだと思ったのです。アメリカから行動療法だなどとぽっと入ってきて、行動療法だなどといってやってもだめだと思うのです。
 ロジャーズが日本で、流行ったでしょう。伊東先生が必死にやられたけれども、最初。私は日本で、アメリカ人に、日本ではロジャーズがあるのだと言ったら、納得しませんでした。彼らは。それで思ったのですが、日本は聞き上手と言うではないですか。おしゃべり上手よりは聞き上手と。それが、だから、ロジャーズなど、手法が日本人の習性にぴたりと合ったのですね。それで、だから、カウンセリングといえばロジャーズといって、日本のセラピストはみんな思っているわけですが、それは日本の文化に合っているからではないですかね。アメリカではわあっと主張するものだから、説教になってしまうわけですね。論駁(ろんばく)といいますか、あるでしょう。何と言ったか、論駁。論理情動療法。
 あれは日本人には、日本の文化には合わないと思う。

春木 それでもう一つ付け加えて言っておかなければいけないのですが、私がこの東洋のことでできたのは、井深基金のためなのです。井深大さんが、早稲田で、実を言うと、東洋医学の研究をしろと言って3億円投じたのです。
 あの人も何が悪かったのか、鍼灸をやっていたのです。だから、多分東洋医学の論文を期待されたのだろうと思うのだろうけれども。私は、気など鍼灸は分からないから、瞑想へ持っていってしまったわけ。それで、瞑想の集まりを、世界中の人を集めて2年に1回行い、報告書があるのです。
これも井深基金で、こういう人たちに集まってもらって。世界中です。ヨーロッパ、イギリス、オーストラリア。

インA シンポジウム。ああ。早稲田で主催のような感じだったのでしょうか。

春木 そうです。井深基金を使って。

インB そこで基金を使って、瞑想などの研究などを推進していった。

春木 そう。最初は日本だけでの集まりをやろうと思っていたのですが、日本だけではこの基金はもったいないと思って、それで、世界に広げようと思って。

インA 何かこのシンポジウムで、思い出深いエピソードなどはありますか。

春木 開催する場所が、いろいろな修道院など、最初の第1回がベルギーだったか、ベネディクト派の修道院でやったのです。
 「サンべ」。「ベネディクトゥアアベ」と書いてある。
 修道院という意味です。

インA 「ベルギーのブルージュにて開催された。1992年7月に」と書いてある。

春木 そうです。

インA これでまた、でも、東洋心理学が発展した大きなエネルギーに、この基金がなったのですね。これは何年も続いた感じなのですね、先生。

春木 そうですね。最初はそれです。

インB 禅のようなもの、日本の伝統的なものを日本の心理学の中に取り入れて、さらに世界にもいろいろありますね、TM瞑想など。あのようなものも、何といいますか、統合するような感じのことも何かこういうものを感じるのですが、見ていると。

春木 いや、そこまでできればいいのですが、できなかったね。
 TMね。いっとき、はやったね。TMの本部はオランダにあって、何という人だったか、インド人。あれを始めた人。
 行ったのですが、心理学者が出てきて、いろいろ説明をされてしまって。私はとりあえず教祖さんと会って写真でも撮りたいと思っていたのですが、会えなかったね。
 TMは、結局はやらなかったね。

インB 今、そうですね。日本には特にあまり入らなかったですよね。やはり禅などがあったからでしょうか。アメリカでは結構実践者がいて、それで、性的な測定など、されているようでしたが、今やはり、マインドフルネスのほうに取られているような気もします。

春木 次々に流行は走っていくから。

インB ええ。

春木 私も心理学は科学だといって始めたときに、そのようにインプリンティングされたから、あまり怪しい世界は少し警戒していたから、ブレーキをかけていた。でも、気功などはいいと思います。

インB はい。日本でこれから気功など、どのようでしょう、心理学、入る可能性といいますか、広まるなど、特に心理学の分野などでは。

春木 いや、入れなくてはいけないと思う。やらなくてはいけないと思う。いってみれば、催眠の世界ではないかな、あれは。
 どこかで取り上げているかな、気功は。気というものは、みんな言うのです、ここに集まるような人たちは。

インB 海外だと、セラピューティックタッチなど、結構看護では実践されています。日本はまだまだのような印象があるのですが。

春木 うん。あれは気功だね、いってみれば。

インB ですよね。ええ。

春木 私は特に取り上げなかったけれども。私のゼミの出身の山口創君はタッチとからめて、セラピューティックタッチと。どこかに論文を書いているけれども。

インB 何か日本では結構画期的のような気がしますが、セラピューティックタッチも、そういう心理学系の論文で出ることは。

春木 ええ。私は、どちらかというと、もっと即物的ですよ。息のしかたなどというものを書いたことがある。

インA 呼吸法の本ですね。

春木 国際会議で『ハウ・トゥー・ブリーズ』という本を編集しているのだと言ったら、みんなにゲラゲラ笑われてしまって。『ハウ・トゥー・ブリーズ』。

インA 息というものは、確かに先生がおっしゃっているように、意識的にも、意思的にもできるし、無意識的にも出来ることですね。

春木 ええ。そう。というのは、そこを分かってもらいたいのです。両方関わっている。
 無意識でたっている。自律神経でやっている。意思でもできる。その辺の反応系を心理学で扱う、やるべきだと思って。心身の体と心、両方に働きかける方法として、一番いいのではないか。だから、呼吸はそうだし、筋弛緩というものも。

インタビュアー:鈴木朋子(横浜国立大学)、小泉晋一(共栄大学)
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